★ 特別警報レベルの台風接近:気象庁予報官
・ 台風10号はまだ台風となる前の熱帯低気圧の段階から気象庁は猛烈な台風に発達し、沖縄から西日本に接近または上陸。今までに経験したことのないような猛烈な暴風、大雨、高潮による被害が発生する危険がある。命や大切な人を守るため早めに行動を起こしてください。これに呼応するようにテレビや新聞、SNSなどありとあらゆるメディアがこれでもかこれでもかとがなり立てる。
・ 9月のはじめ、小笠原近海で今年10番目の台風となった。その後、996hpa,970hpa,945hpaと下馬評の通りに発達、勢力を増大した。大東島の近くを通過するころには920~925hpaまでになった。このまま勢力をさらに強め奄美大島近海に達するころピークを迎え、915hpa最大風速は55m/Sec. 最大瞬間風速は75~80mに達する見込み。
・ moriに1991年の台風19号の記憶が蘇る。あの時は1週間から10日前に襲来した17号で散々やられた後の襲撃で、本当にすざましかった。台風の目が通った。中心にいた自分たちは思ったより被害がなく安心していた。だが、翌日報道された近隣の被害はとてつもなく大きなものであった。moriの生まれ故郷は中心から100~150Km離れていたが、家の屋根は飛ぶや、一面にきれいに植樹された40~50年たった杉の木は跡形もなく根こそぎ倒されていた。根元から、根が引き抜かれているのではない。根元から人の背丈位のところからバシッと折れていた。まるで強烈な爆風で吹き折られたようだった。当時測候所の風速計は吹き飛び、どのくらいの風が吹いたかはわかっていないが、おそらく80mは越えていただろうと言われていた。
・ だからmoriはできる限りの養生対策をして、動きの不自由な妻のことを考え、自治体が用意してくれた避難所に避難した。前々日から、近くのホテルに避難すべく空き状態を検索したが、かなり遠くの街まで予約は一杯であった。覚悟を決めて近くの中学校の避難場所を見学に行く。新しくできた中学校で設備は申し分ない。その場で申し込みをしておけばよかったが、まだ迷いがあったのか、見学だけで家に帰った。その旨娘に電話すると、ぼろくそに怒られた。昼ご飯を済ませてまた避難所に行き申し込みを済ませた。ここには、13世帯分のスペースが用意されておりmoriが申し込んだときは5番目であった。良かった良かった。
・ 9月6日の夕方5時ごろ避難用の物を車いっぱい積んで避難所に行く。妻の車椅子も持って行った。車椅子の威力か、役所の担当の方々に必要以上に丁寧な扱いを受けた。一世帯のパーティションは約六畳弱、段ボールで間仕切りされ、ダンボールベッドも用意され、本当にありがたい。夜中に台風が襲来したが、あまり風音もせず、安心して眠られた。
・ 寝る前から、夜中にも何回かスマホで台風状況を確かめた。進路はほぼ予報通りである。ただし、気圧はさほど低くはなくなり、中心付近の最大風速も、前評判ほどではないようだ。
・ 翌日昼前に避難所の方々に厚くお礼をして、家に帰った。被害やいかに? 恐る恐る家に入る。ガラス窓は割れていないだろうか? 続いて家の周りを見回った。大した被害は見られなかった。ただ自分が作ったウッドデッキの屋根に張った塩ビの波トタンが一枚はがされ、下に落ちていた。他人様にご迷惑をかけてなく安心した。その日の夕方近くのホームセンターに行き、9尺の塩ビ波トタンを一枚買って帰っり、翌日すぐに修繕した。被害総額約2,000円也。
・ 今回はマスコミに踊らされたmoriであったが、それでよかった。今後とも避難勧告、指示が出された場合は早めに避難しようと思う。